それでも、人生は素晴らしい

ジャニーズが大好きなパニック障害の主婦です。嵐→空白7年→Sexy Zone→ジャニーズWEST 不妊治療中です。

最近買ったもの~その1~付録付き雑誌が豊作!

私はもともと、付録目当てで雑誌を買うことが多い。
というか興味のある付録が付いてなければ雑誌は買わないw
最近はKindle Unlimitedで最新号の雑誌が何冊も読めるのでそれで十分だ。
アイドル雑誌3誌とMyojo、ポポロの5冊を、毎月欠かさず買っていたあの頃が懐かしい・・・。
なんとPOTATOはKindle Unlimitedの読み放題対象雑誌だったりするので嬉しい限り。
さてさて、話が逸れてしまったが、最近発売されたムック本や雑誌の付録が良すぎて、珍しく月に3冊も買ってしまったので、今日はそのレビューをしていきたい。

 

OLIVIA BURTON PACKABLE TOTE BAG BOOK

このブランドは、腕時計が有名らしい。
花をモチーフとした腕時計は、見かける度に可愛いな、とは思ってはいたが、私は何分、までわかる時計が好きなので、分の刻みのない時計はどんなにデザインが好みでも買わないようにしている。
リビアバートンの時計はそのタイプだったので、残念に思っていた。
しかし、そんなオリビアバートンが、バッグ付きのムック本を出していると知り、これなら使えるし可愛い!と、思い切って買ってみた。

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折りたたんでコンパクトにすることも出来るのだが、その時ケースとなる部分がマチになるので、結構荷物は入るのではないかと。
横から見た感じと、折りたたんだ時の写真。

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大きさがわかるものとして、ステラルーのぬいぐるみとw

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こんな風に、耳がちょっと出るくらいまで隠れる。
サイズは縦38.5cm、横35cm、マチ12.5cm。
生地は、エコバックよりはしっかりしていて、ペラペラではないけれど、薄めなので、そんなに重い物は入れない方がいいかも。
でも、縫製は綺麗。
裏はこんな感じ。

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とにかく可愛い!!
アラフォーが持っていいものかどうかはわからないけど、黒地だし大丈夫だと思いたい。
年齢を気にして持ちたいものを持たないなんて寂しいし、好きなものを持つことで自分のテンションが上がる方が大事!!
やっぱり時計も欲しくなってきた・・・。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

OLIVIA BURTON PACKABLE TOTE BAG BOOK
価格:2189円(税込、送料無料) (2020/10/31時点)


 

美人百花 2020年 11月号 付録:LANVIN en Bleuエチケットケース

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言わずと知れたブランド。
LANVIN en Bleuは、日本向けラインのようですが、LANVINは地元では一番のデパートに入っていたので(ちなみに川徳w)、高級ブランドのイメージ。
この付録はエチケットケースという名前だけれど、サイズは 縦11.5cm、横21.5cmと大きめでマチはあまりない。
マスクケース(クリアファイルみたいな感じ)も付いているし、マスクを入れるのに適しているかも。
チケットを入れにも、と書いてあったので、折り曲げずにチケットを入れられるのは良いなと!!
でも、もしかすると、私は最近コンサートに行っていないのでわからないのだが、今はデジタルチケットなのだろうか?
それは置いておいて。

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まず色が最高。
この絶妙なブルーが本当に可愛い。
写真では、色味が上手く撮れなかったけど、すみれ色って言った方がしっくり来るかも。
なので、自担のメンバーカラーが青や水色の方は勿論、紫の方もいけると思う!!
そうそう、袱紗にもなるって書いてたな。
何気に袱紗は持っているといざと言う時便利なので、1つあると安心!
ちなみに、Amazon楽天も売り切れてますが、店頭には普通に並んでたのでまだ買えるはず。

SPRiNG 2020年 12月号増刊 付録:リラックマデジタルメモ

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リラックマ好きとしては、買わずにはいられなかった・・・
ホワイトボードとかはあるけど、デジタルのメモは珍しいのでは・・・しかもリラックマだし!と飛びついた。
裏にはマグネットが着いているので、メモの定番、冷蔵庫に貼り付けたりも出来る。

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こんな風に、予定を書けば忘れない!!
(よく出演番組を録画し忘れるダメなジャニヲタ)
勿論、ボタン一つで消せるし、消したくない内容ならロックして消えないようにしておくことも可能。サイズは縦22.7㎝、横14.5㎝。
内蔵されている電池が切れたら終わり!?と心配していたが、電池は交換できるようなので、壊れない限りはずっと使える。
SPRINGの付録ではあるけれど、セブンイレブン限定のSPRINGなので、欲しい方はそこだけは気をつけてください!

ジャニヲタだったことが結婚する上で役に立った話

私は、ジャニーズに依存しすぎていたせいで拗らせていたり、婚期を逃してしまい、晩婚になってしまった話などを以前したが、

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実は、重度のジャニヲタであったということが、結婚するのに役立った一面もあったのだ。
今回はその話をしていきたい。

 

遠征を繰り返していたこと

私と夫は、元々はオンラインゲームで知り合った友人だったが、私が東北、夫が東京在住と、距離がだいぶ離れていた。
しかし、私は嵐を始め、多くのジャニーズのコンサートや舞台鑑賞のためしょっちゅう上京しており、ゲーム仲間に予定を伝えては、気の合う仲間達でオフ会を楽しんでいた。
私は基本的にコミュ障の部類ではあるが、ゲーム内ならチャットでのやり取りなので、普段より社交的になれたし、オンラインゲームというものは、男キャラを使っている人が男、女キャラを使っている人が女、とは限らない世界である。
むしろ、性別がキャラと逆の人が多くいるし、中の人が男か女かをすぐに確認するのは、無粋であるとされている。
そのため、男女関係なく、人として性格が合う、合わないで仲良くなれたのが功を奏し、特に男性に対してコミュ障を発揮してしまう性格の私も普通に振る舞えたこともあり、なんと、このオンラインゲームで出会った人たちとの友人関係は、夫を含め今も15年以上も続いている。
もし私がジャニヲタでなければ。
東北在住の私が、東京まで行く機会はそうそうなく、オフ会に参加出来ることもほとんど無かっただろう。
夫と、こんなに長く友人関係を保てていなかっただろう。

自担のために可愛くあろうとしたこと

そして、友人時代、夫が私に対して抱いていた印象。
これに関して、まさかのジャニヲタが役立っていた。
オシャレで好きなこと(嵐やジャニーズ)に夢中な私の姿が、輝いて見えたと言うのだ。
たしかに、コンサートに行く時は、万一メンバーの視界の隅に入ることもあるかもしれないと思うと、少しでも可愛く見せたくて、自分なりのオシャレはしていたつもりだ。
といっても、ファッションセンスがあったわけではないが、当時はCanCamやJJを愛読していたので、無難な格好は出来ていたと思う。
今で言う、量産型だったのかもしれない。
メイクも好きな方だったので、あの当時は1時間もかけてメイクやヘアセットをしていた。
舞台の時も、せっかくなので、ある程度のドレスコードは守りたくて、きちんとした格好は心掛けていた。
若さゆえ、コンサート前にオフ会、マチネ後にオフ会、というタイトなスケジュールも組んでいたので、推しに会うための最高のオシャレをした状態で夫と顔を合わせていたわけである。
というわけで、意外なことに、夫の私に対する印象は、オシャレで輝いている人、というものであったと後で聞いた。
実際はただのジャニヲタの喪女だったのに、自担のためにしていた努力が、こんな所で役に立っているとは思わなかった。
もしジャニヲタでなければ。
オフ会に参加するために、自分の中の最上級のオシャレをすることはなかっただろうし、良い印象を夫に与えることもなかっただろう。
余談だが、オフ会の時は、ポスターや団扇を持ち歩いていることも多かったので、紙袋(当時のツアーバッグ)から出ているカラフルな筒と大量のうちわの柄は一体何なのだろう・・・、と思っていたというのは笑った。

推しの好きな物を買ったこと

当時、ジャニーズwebで連載されていたニノのゲームニッキ
うろ覚えだが、ある日そこでニノがクロノトリガーのサントラを聞きながら運転をしていた話が出てきた。
ジャニヲタの鏡だった私は、ニノが好きな音楽を自分も買わなければ!と、直ぐにサントラを買った。


 


元々クロノトリガーは好きなゲームだったこともあるし、何よりニノのしていることを真似してみたかったのだ。
まさかこの事が、人生の役に立つとは思わなかった。
オンラインゲームで知り合ったくらいなので、夫もかなりのゲーマーなのだが、その夫が、人生で一番好きなゲームがなんとクロノトリガーだったのである。
夫も勿論サントラを持っていて、「風の憧憬」が最高!だの、「遠い約束」が泣ける・・・だの、やたら話が盛り上がった。
もしジャニヲタでなければ。
嵐ファンでなければ。
私はクロノトリガーのサントラは確実に買っていない。
夫とここまで仲良くなれることはなかったかもしれない。

このように、ジャニヲタだったことが、まさかの、結婚に至る過程で役立っていたこともあったのだ。
このことに限らず、人生に無駄だった時間はない、全ては必ず何かの役に立っているのだと最近よく考える。
パニック障害になってしまったことも、良かったとまではさすがにまだ思えないが、乗り越えようと頑張ってきた日々は、この先必ず何かの役に立つだろうと確信している。

私の好きな物~その1~

私はパニック障害だけど、今こんなに楽しく生きてるよ!パニック障害だけど人生は素晴らしいって思えるようになったよ!ということを伝えたい&残したくてブログを始めたつもりなのに、なんだか真面目で暗いブログになってしまっていることに気がついた。
そこで、今日は私の好きな物を紹介していきたいと思う。
ちなみに、タイトルは、映画「青の炎」の初回特典のカセットテープ、俺のすきな物のパクr・・・、オマージュです。

ジャニーズWEST

私がWEST落ちしたきっかけは、2019年に放送されたしゃべくり007だ。
しゃべくり007は、気になるゲストが出ている時は見ることもあるが、ゲストのトークを聞くよりも芸人さんたちが前に出て目立ってしまうことがあり、ゲストの良さを引き出せていないなあ・・・と偉そうにも思うことが多かった。
しかし、なんと書いてあったのか忘れてしまったが、WESTがゲストの日のテレビ欄の概要を見て、面白い回になりそうな予感がし、録画。
この勘は正しかったようで、かなりの神回!!
私はWESTが出ている間ずっと爆笑していた。
全員キャラが立っていて、爪痕を残そうと前のめりな感じが面白かった。
クール路線で行こうとしたのにえなり風なシゲ、キンプリ世代で入るグループを間違えたのんちゃん、衣装にキラキラしたの3粒くらいしかついてない流星、濵ちゃんのつい答えてしまったアイアンマン、わざとらしくカッコつける照史、神ちゃんのダンス対決、そして最後に中国語で全て持っていった淳太くん。
誰かが話している時、みんなが笑顔で爆笑していてとてもいいグループだな、と思った。
そこから興味を持ち、WESTVツアーのブルーレイ購入。


 

ライブの面白さと歌の上手さにどんどんハマっていき、2019年9月にファンクラブ入会。
本格的にファンになって約1年、実は大問題がありまして・・・
まだ推しが決まっていない!!
まさかの、1年経ってもまだ自担が決まっていない状態なのである。
理由は箱推し虹色ジャス民なのと、みんなそれぞれ違った魅力があり、ガチで選べない。
これについては長くなりそうなのでまた機会があったら語りたいです。

ゲーム

小学校入学のお祝いにファミコンを買ってもらった私は、すぐにTVゲームの虜となった。
それから高校入学祝いがスーパーファミコン、大学合格祝いが初代プレイステーションと、なぜか祝い事にはゲーム機を買ってもらい、順調にゲーマーの道を進む。
ジャニヲタになってから、ゲームにまで割ける時間がなくなり、ちょっと疎遠気味になったが、携帯ゲーム機の発売(DSやPSP)でまた復活。
ニノがゲーム大好きということも、私のゲーマー復活に繋がった。
当時ジャニーズwebで連載されていたゲームニッキに、文字通りゲームの話が出ると、同じゲームが好きなんだ!と嬉しくなったりした。
例えばクロノトリガー
私も好きで、スーファミ、プレステ、DSでそれぞれ持っている。
ちなみに、当時RPGの主人公に付けた名前はだいたいサトシだったりw
なので、DSのクロノトリガーは、最早サトシトリガーになり、乗り物にはアイバード(本当はシルバード)と付けた思い出だ。
最近はPS4とSwitchで主に遊んでいて、龍が如くシリーズは出ると必ず買っている。
真島の兄さん推し。
同じく龍スタジオの出している木村先輩のジャッジアイズも、上質なミステリードラマみたいで本当に面白くて、続編を待ち望んでいるゲームの一つだ。
そして忘れてはいけない、乙女ゲーム
黒蝶のサイケデリカ、AMNESIA、CLOCK ZERO、Color×Malice、シャレードマニアクスのような、ダークな世界観のものを好む。
その他、好きなゲームはドラクエ3・4・9・11、ファイナルファンタジー7・9・10・14、ペルソナ4デトロイト、428~封鎖された渋谷で~、ゼノギアス、マザー2、ファタモルガーナの館、ダンガンロンパシリーズなど。
ソシャゲはあまりやらないけれど、夫に誘われドラクエウォークを少し。
あとは最近、新しいスマホを買って処理能力がだいぶ早くなったので、センシルという着せ替えゲームをやっています。
私のキャラ。

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微課金(今まで120円しか課金してない)でも、こんなに可愛く出来る!
フレンドコード貼っておくので、もしよろしければ是非お友達になってください♪

マイコード︰g4c27

読書

小さい頃、一人っ子だった私は、内向的で遊び相手もおらず、子供向けの童話全集ばかり読んでいた。
その流れで読書が好きに。
本屋と図書館には一日中いられる。
特に好きな作家さんは、思いつくままに挙げると、東野圭吾貴志祐介吉田修一池井戸潤奥田英朗桐野夏生、柚木麻子、辻村深月角田光代小池真理子山本文緒湊かなえ。(敬称略)
好きな本はありすぎて挙げるのが難しいので、衝撃を受けた本を紹介すると、貴志祐介新世界より」、吉田修一「悪人」、小池真理子「恋」、東野圭吾白夜行」、角田光代「八日目の蝉」など。
最近は、収納の問題もあり、ほとんど電子書籍に移行したので、AmazonKindle Unlimitedにも加入しており、たまになぜこれが読み放題!?というタイトルがあったり、読んだことの無い新しい作家さんの本を読むのも楽しい。
最近だと、Kindle Unlimitedのおかげで恒川光太郎先生を知り、スタープレイヤーシリーズにハマった。
今月読めるものだと、小池真理子先生の「狂王の庭」、貴志祐介先生の「硝子のハンマー」なんかが面白いんじゃないかと!
前者は耽美な禁断の恋、後者は言わずと知れた鍵のかかった部屋の原作、これらがラインナップに入ってるなんてKindle Unlimited最高。

かわいいもの(キャラクターグッズ)

私は幼少の頃、非常に厳しい祖母に、ぬいぐるみは飾るものであって遊んではならない、と間違った躾を受けたため、大人になってからぬいぐるみ好きが爆発してしまい、この歳になってもかわいいぬいぐるみを見るとつい買ってしまう。(たまに話しかける)
また、私は祖母により、小学生の頃、なんと当時でも時代遅れの鉄人28号のプリントされたお弁当箱を持たされ、友達がキティ、キキララ、マイメロなどのお弁当箱やキャラクターグッズの文房具を持っているのが羨ましくて仕方なかった。
新しいものはなかなか買ってもらえず、従兄弟のお兄さんのお下がりばかりだったから私の持ち物の大半は可愛くなかった。
その反動で、自由なデザインを選べる今は、リラックマを筆頭に、シナモロール、ユニベアシティなどのキャラ物が大好きで、集めるのをやめられない。
ディズニーストアは結構近くにあるのでよく行ってはテンションが上がり、1000円以下の何かを買ってきてしまう。
本当はあの頃使いたかったものなのかもしれない。
部屋はこんな感じなので(ほんの一部)、夫にもうぬいぐるみは勘弁して欲しい・・・と言われるが無理。

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今回は私の好きな物を紹介しましたが、メイクやスイーツなど、まだまだ好きな物がたくさんあるので、その2、その3と続けて書いていけたら、と思っています。

ジャニヲタ時代の私の拗らせた恋愛観と結婚観

これは、1歩間違ったら7040問題、あるいは8050問題の当事者になっていたかもしれない、あるジャニヲタの記録である。

夢見がちな少女時代

私は昔から少女漫画が大好きで、小学校に入る前、幼稚園の頃にはすでに漫画を読んでいた記憶がある。
小学生の時は、あさぎり夕先生と矢沢あい先生が特に好きで、なな色マジックは今でもたまに読むし、矢沢あい先生だと、マリンブルーの風に抱かれてが大好きだった。
高学年の時には、コバルト文庫ティーンズハート文庫が流行り、恋愛小説も友達と貸し借りしながら数多く読んだ。
中でも、折原みと先生の小説が私のバイブルだった。
そのせいかどうかはわからないが、夢見がちな少女で、自分も少女漫画や恋愛小説の主人公たちのように、中学生、高校生になったら、当たり前のように恋をして当たり前のように彼氏が出来ると思っていた。
しかし現実は全く違った。
彼氏が出来たり恋愛を楽しんでいるのは、基本的にカースト上位の可愛い子たちばかり。
高校生になっただけでは彼氏は出来ないと悟った頃、内田有紀さん主演の「キャンパスノート」というドラマが流行った。
今度はそれを見て、大学生になってサークルに入ったら彼氏ができるものだと思い込み、一生懸命勉強した結果、第1志望の大学には合格出来たが、やはり彼氏はできなかった。
全く学ばない私は、社会人になれば今度こそ彼氏が!と思ったがやはり彼氏は出来ない。
そしてそのままジャニヲタになってしまった。
ジャニヲタの喪女である。

拗らせた20代の私の結婚観

その後、私は拗らせた。
普通、20代も中頃となれば、現実が見えてくる頃だが、私は相変わらず夢見がちだった。
といっても、自担である大野くんにガチ恋だったわけではないし、ジャニーズ系のイケメンがある日突然私の前に現れて恋愛関係に☆なんていう夢も見ていなかった。
しかし、「ジャニーズが大好きで、嵐と大野くんに人生を捧げている私」ごと好きになってくれる人が。
そんなありのままの私を好きになってくれる人が、いつか現れると本気で思っていたのである。
むしろジャニーズという趣味に理解のない男などお断わりだ!というスタンスだった。
私がゴリゴリの嵐ファンだった2005年前後は、友人たちの結婚ラッシュが始まっており、友人の結婚式に何度も出席し、友の幸せそうな姿に涙を流しながら、私も結婚を意識し始めた。
相手もいないのに。
以下、当時のわたしのかんがえたさいきょうのけっこん


・ジャニーズに理解があり、行ける範囲のコンサートは全ステさせてくれる人というのが結婚相手に望む一番の条件。(勿論、チケット代や遠征にかかる代金は自分で稼ぐ)
・子供は欲しいが、コンサートのスケジュールが最優先なので、夏コン、冬コンに重ならないようなタイミングで出産する。
・出産後は実家の母に子供を預けてコンサートに行く。
・子供がある程度大きくなったら一緒に嵐のコンサート行けたら最高だよね!
・結婚しても、グッズを飾ったり、ポスターを貼ったり、1人でゆっくり映像を見ることの出来る自分だけの部屋が欲しい。
・披露宴で流す音楽は全部ジャニーズ

さすがの私も、この理想の条件が全て満たせる結婚が出来るとは思っていなかったが、自分の行ける東北や関東でのツアー日程はだいたい同じだったので(夏コン7月~8月・冬コン1月)、逆算して子供を作り、この時期を避けて出産するようにすればいいと、子供に関しては8割方本気で思っていた。
結婚や子育てを舐めすぎで恥ずかしいかぎりである。

努力しない私

結婚したい、彼氏が欲しいと思っている割には、私は受け身で、特にこれといった行動は取らなかった。
運命の人には、どう生きようがどう行動しようが出会える、だって運命なんだかr、みたいな考えが根底にあったからである。
幸い私は友人に恵まれ、何度も結婚式に招待されたが、大チャンスであるその二次会でも何もしなかった。
「全然良さそうな人いないし、早く帰って嵐のDVD見てぇ・・・。でも友達の顔潰す訳にはいかないから、あと数時間耐えよう・・・」、と死んだ魚のような目をして座っている女に話しかけてくる猛者はいなかった。
自分でその場を楽しむ努力も出来ないような人間なのだから当然である。

30を過ぎ、焦って婚活を始める

そんな風に日々過ごしていたら、あっという間に30歳になってしまったが、私が30歳になった頃は、丁度魔王が放送中で、黒髪の大野智と成瀬領という人間に心と魂を全て持っていかれている状態だったので、結婚や恋愛どころではなかったことは嵐ファンの方にならご理解頂けるかと思う。
そして魔王が終了し、30歳を過ぎる頃、私はやっとわかり始めた。
このままなんの努力もしなければ、私は一生結婚出来ないと。
そこで、婚活を始めることにした。
初回は3ヶ月会費無料、というキャンペーンがあったので、Yahoo!縁結びに登録した。
今は、Yahoo!パートナーと名前が変わっているらしいが、おそらく今も昔も似たようなシステムだろう。
趣味は無難に音楽鑑賞、読書などにして、ジャニーズのジャの字も書かず、なんの面白みも個性もない自己紹介文を書いて登録。
それでも新人の御祝儀で、大量のメッセージが届き、その人たちのプロフィールを見たり、返信したりするのが大変で、既に嫌になってきた。
そんなことにかける時間があるのなら嵐のDVDを・・・と頭をよぎったが、ここが頑張りどころである。
明らかなコピペメッセージを除外し、良さそうなプロフィールの方数人とやり取りを始め、2週間後くらいだっただろうか。
一番やり取りが続いた人とカップルとなり、その後もメールを続け、会うところまでこぎ着けた。
しかし、私はまだ20代の頃のまま変わっていなかったのである。
会話は基本的に相手が振ってくれるのを待ち、その場を楽しもうとする努力をしなかった。
よく、こういう婚活サイトやアプリなどで出会うと、顔合わせでとんでもない人が来る事があるというが、本当に普通の常識のある方で、見た目も悪くない人が来てくれたのに、だ。
あの日のことは、私のせいで会話が弾まなかったことくらいしか記憶が無いが、唯一、今でもハッキリと覚えていることがある。
何の話の流れかは失念してしまったが、お相手の方から、KAT-TUNの話題が飛び出したのだ。
その時、私は今までとは別人のように喋り倒した。
中丸くんはこういう人で云々、亀梨くんは実はどうのこうので・・・と熱く語った、語ってしまった。
好きな物に関してだけ早口で喋りまくる典型的なヲタクである。
あとの展開はお察しの通り。
その後、二度とその方とは会うことなく終了した。
これに懲りたのと、プロフィールを見続けてこの人はあり、無し、と振り分けていると、その人の人間性ではなく、男性を無意識に条件で判断する癖がついている事に気が付き、サイトでの婚活はやめた。
そして今度は、友達に合コンがあったら誘って欲しい、良い人がいたら紹介して欲しいと頼み、何度か実現したが、合コンではみんなが2、3のグループで何らかの会話で盛り上がっている中、私だけどのグループの会話にも入れず、ぼっち。
紹介してもらっても、ジャニヲタというのは隠しているため、私からジャニーズを取ったら何も残らないからっぽな人間だったので、連絡先を交換出来るほど話が盛り上がったことは一度もなかった。
もう結婚は無理かもしれない。
だから一生働けるような資格を取るしかない。
そう思ってある国家資格の試験を受け、パニック発作を起こし、パニック障害を発症してしまった経緯やその後のことはこの辺に書いてあります。

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失恋ショコラティエ

私は失恋ショコラティエが大好きで、漫画全巻持っているし(結婚先にも持ってきた)、潤くん主演のドラマも全話見てそれを録画したブルーレイもある。

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10代、20代の頃の私なら、サエコさんのような女は1番嫌いな人種ですらあったと思うが、今は尊敬に近い気持ちで、こういう考え方で生きてきたかったと思う。
私は、薫子さん寄りで、男性が、もし自分に好意があれば誘ってくれるはずだから、こちらからはアクションはしない、というタイプだ。
メールも、用がないと基本的に送信出来ない。
気軽に「時間あったら今度ご飯いこー♪」なんてメールを異性に送るのはとても無理だ。
なんとも思ってないけど、食事くらいは一緒にしてもいいかなって思ってメールしただけなのに、もし気があるとか勘違いされたらめんどくさいし癪だと思ってしまう。
私も薫子さんも、プライドが高いのかもしれない。
それに、ちょっとした事で相手に幻滅したりするところも似ている。
薫子さんは漫画でもドラマでも美人なのに、とっつきにくいし、やはり恋愛が上手くいっていない。
サエコさんには憧れるが、一番共感してしまうのはそんな薫子さんだ。
一方、サエコさんの言葉は恋愛、ひいては人生における名言、金言が満載なのだが、7巻で、特に私がハッとしたセリフある。


 


原文をそのまま載せるのはよろしくないと思うので要約すると、

何もしなくても、相手が自分のことを好きになってくれたらそれが一番。
でも普通そんなことはない。
例えばお菓子はそれだけで充分美味しいけど、売れるためには形や色を可愛くしたり、箱に入れて装飾したり、愛される努力が必要。
やはり人の気を引く努力をしている人が好かれる。

というような内容だ。
私はこれを読んだ時、目から鱗だった。
容姿に恵まれていない中身も何も無い私が、何の努力もしないで誰かに選ばれるなんて都合のいいことがあるわけはなかったのだ。
20代の時にこの漫画を読めていれば、漫画の中とは言えサエコさんに出会えていれば、もっと早くいろいろなことに気が付けていたのではないか、拗らせることはなかったのではないか、と思う。
しかし、こんなに拗らせていた私でも、変わることが出来たので、どういう心境の変化があって結婚に至ったのかなども今度書けたらいいなと思っています。

ジャニーズに依存しすぎていた私に襲いかかった体調不良の話

松島聡くんが、突発性パニック障害で休養することになった時、「実は1年前くらいから体調を崩し始め、1ヶ月前より不調が酷くなった為受診いたしました。」とのコメントを出していたが、まさしく私もその通りだった。
何度も書いている通り、私が初めて強烈なパニック発作を起こしてしまったのは2010年の10月であったが、2009年の末頃から、病院に行くほどではないけれど体調が悪い・・・という日が増えていた。
例えば、頭痛であったり、吐き気であったり、めまいであったり。
何も変なものを食べた記憶はないのに、2週間くらい毎日お腹を壊し続けたこともあった。
数時間~酷くても1日休めば良くなることが多かったし、お腹を壊し続けた時は市販薬でごまかしていたらいつの間にか治っていたので、あまり気にしていなかった。
だが、今思うと、これらの症状は、ジャニーズに夢中になりすぎた故に抱えることになった多大なストレスのせいであり、パニック障害発症の前兆だったのかもしれないと推測している。
しかし、当時、自分はうつ病などの精神障害とは一生無縁だろうという謎の自信があったので、体調不良という自分の身体が出していたサインに気が付かなかったのかもしれない。
今回は、当時どのような原因で体調不良が続き、パニック障害に繋がっていったのか振り返っていきたいと思う。

当選し難くなった嵐のコンサートのチケット

1回のツアーで10回前後の遠征が当たり前だった私が、嵐のコンサートチケットが著しく取りにくくなっている!と初めて感じたのは、2007年1月に行われた凱旋公演と名付けられた横浜アリーナからだった。
丁度、花より男子2の放送がスタートする頃だ。
今までは、良席にこだわらなければそこまで苦労せず行きたい公演のチケットをゲット出来ていたのに(勿論定価、友人と分担してチケットを取るなどの方法で)、この公演だけは、私も友人たちも壊滅的な当選状況だった。
何とか友達の伝手を頼り、横浜アリーナ全公演のチケットを揃えられたのは、公演開始2日前。
しかし、その次の初東京ドーム公演は楽に全公演当選したので、チケットを取りにくくなったのは気のせいかも?と楽観視していた。
今ならわかるが、会場が大きくなり収容人数が増えたのだから容易に取れたのであって、その頃既に彼らは、ジャニーズの1アイドルから、SMAPに次ぐレベルの国民的人気アイドルへと移行しつつあったのだ。
翌2008年から、嵐はアリーナクラスの公演がなくなり、ドーム、もしくは国立クラスの公演しかしないようになった。
人気を考えると当然のことだが、当時の私にはなかなか受け入れられなかった。
つい2年前の大野くんと翔くんのソロコンはZeppクラスの会場で、めちゃくちゃ近くで見れたのに、ドーム・・・?国立競技場・・・?
しかし、いくらネット裏後列のドーム公演であろうと、天井席を通り越した野鳥席だろうと、嵐のコンサートは距離の近かったアリーナ会場と同等に楽しかった。
初の国立競技場も、スクリーンで見ないと本人たちの姿は米粒の様だったが、お祭りみたいな楽しさもありつつ、聖火台を使ったパフォーマンスのカッコ良さなどは圧巻で、会場が大きくなってセットが豪華になりコンサートのレベルがアップしても、良い意味で変わらない空気感の嵐がそこにいた。
やっぱり生で見る嵐は、会場の広さは変わっても私の大好きな嵐で、一生ファンをやめることはないと思った。
そんな風に思っていたのに、2009年には、チケットがほとんど取れなくなってしまった。
友達の伝手を使ってもなにをしても手に入らない。
しかし、定価以上で買うようなことはしたくなかったので、オークションサイトやダフ屋などには意地でも手を出さないでいたら、つい2年前まで10数公演入っていた私が、ツアー毎に1公演入れればいい方になってしまった。
近年では、数年にわたって一度も当選したことがないという方の話も聞いた事があるし、1公演でも入れれば本当に幸せなことだというのは頭では理解していたが、距離が遠くなった上、当選すらしないというのはかなり堪えた。
これが、2009年~2010年頃の私の一番の悩みであった。

嵐しかなかった私の人生

一方、私が人気が出過ぎてチケットが取れなくなった嵐のことで悩んでいた時、友人たちは、結婚したり、出産したり、マイホームを建てたりし、自分とは全く違うベクトルの悩みを抱えながらも、とても幸せそうに見えた。
独身でも、仕事で着実にキャリアアップし、今は仕事が楽しいと輝いている友人もいた。
地元の友人たちとは定期的に集まっていて、みんないつも私に優しかったが、その時に聞く夫婦の話、子育ての話、仕事の話、どれも私には別世界のことだった。
私の話題の引き出しといえば、嵐を筆頭としたジャニーズのことしかない。
友人たちが悩みながらも自分の人生を謳歌している中、私の人生には嵐しかなかった。
友人が私のために合コンを開催してくれた事もあったが、ジャニーズのことしか頭にない人間が、ジャニヲタということを封じて出会いの場に臨んでも、初対面の異性とまともなコミュニケーションを取れるはずもなかったし、今思うと取ろうともしていなかった。
そんな人間なので、合コン同様、婚活、友達の紹介、全てが上手くいかなかった。
私は一生結婚できないのではないか。
この先、親も歳を取って亡くなったら、兄弟もいない私は1人きり。
今は両親も健在だし、嵐を見ていると満たされるし楽しいけど、それでいいのだろうか。
大野智という存在が私の生きがいであり、全てと言っても過言ではなく、たくさんの幸せは大野くんと嵐からもらっている。
だけど、将来を考えたら、嵐にだけ人生を捧げている場合ではないのではないか?
そんな大きな悩み、そして将来の不安がストレスとなり頭の片隅から離れず、夜中突然目を覚まし、このままでは一生1人かもしれない・・・と泣くこともあった。
そこで、私は、まずこのような生活を脱却する1歩として、1人でも生きていけるように、ある国家資格を取ろうと思ったわけである。
試験は1年に1度しかないので、30歳を過ぎていた私には何度も受け直す時間的な猶予はなく、どうしても受かりたかった。
いや、「絶対に受からなければならない」くらいに思っていたので、そのプレッシャーも手伝って、当日パニック発作を起こしてしまったのだろう。
こうして振り返ってみると、2009年末頃からの体調不良は、人生や将来について真剣に考えた際のストレスが関係していたと思う。
パニック障害になってしまって、嵐ファンを続けられないほど精神的にダメージを負ったが、あの頃の私はファンを通り越して嵐に依存していたので、理由はどうあれ1度断ち切れて良かったとも思っている。

ファンであること≠依存すること

勿論、嵐ファンだったことを後悔も否定もしていないし、むしろあれだけの熱量で応援できたことを誇りに思う。
数年の空白期間はあるが、大野智くんと嵐のことは今でも大好きで特別な存在だ。
推しのいる人生は、楽しくて幸せで、その笑顔ひとつで辛いことも忘れられる。
しかし、私のように、推しを自分の全てと考えるくらいのめり込んでしまうと、人生取り返しのつかないことになるかもしれない。
今は、自分の人生や将来を最優先に考え、その際立ち向かわなければならない様々な困難を乗り越えるため、推しから元気を貰う、というスタンスで応援できている。
これからも、やっと見つけた自分のペースでジャニーズを応援していきたい。

パニック障害と診断されてから日常生活が送れるようになるまでかかった時間

2011年1月15日。
私がパニック障害と診断された日だ。
常に発作と隣り合わせで、母につきっきりで側にいて貰わないと、不安で発狂しそうだったほど酷い状態だったこの日から、どのようにして、そしてどのくらいの時間をかけて日常生活が送れるようになったのかを書いて行きたい。
(私は日記を書くのが好きで、当時の日記も残っていたので、それを参考にしています)

パニック障害と診断されてから約一週間の状態

やはり、1月15日から1週間程度は精神的に不安定だった様子が日記からも見て取れる。
ゆっくり休むべき時だったと今ではわかるが、当時は何も出来なくなったのが怖くて、このままではダメになる、何かしなければ!と気持ちばかり焦っていた気がする。
例えば、外に出るのは不安だったので、家で踏み台昇降運動を始めたのだが、息が上がってきて呼吸の回数が増えると、過呼吸になったのと勘違いし、不安感が襲ってきてすぐに休んでしまい、こんなことも出来ないのか・・・と落ち込んだ。
また、本来はリラックスの場である風呂中に発作を起こすことが多く、大急ぎで入浴を済ませるように。
買い物くらいは行けるようになりたいと思ったが、両親と一緒にならなんとか出かけられたものの、パニック障害持ちにとって一番の鬼門であるレジは親任せなので、実質買い物は1人でこなせないのと同じ。
テレビをつけると、グルメ番組や旅番組が目立ち、あの人たちは食べ物を美味しそうに食べられていいな・・・とか、楽しそうに旅行に行けていいな・・・、パニック障害の自分には無理な話だ・・・と落ち込む。
大好きな嵐の番組を見ても、もう二度とこの人たちのコンサートに行ける日は来ないのではないか・・・、楽しい思い出をありがとう、でもしばらくは姿を見るのも辛いのでレギュラー番組も見ないことにしよう、という結論に至った。

回復し始めた約2週間目~1ヶ月

しかし、処方されたメイラックスが、私にはとても合っていたようだ。
毎日の強烈な眠気には悩まされたが、不安感が日に日に減っていくのがわかった。
浴室での発作は起こさないようになってきたし、ゲームを楽しめる時間も増えてきた。
コンビニ程度なら1人で出かけられるようになったし、五分くらいなら運転もこなせるようになった。
そんな中、私がパニック障害だと診断されたことを知らない友人から遊びに誘われた。
正直、遊びに行けるほど回復している気はしなかったが、ここで1歩踏み出せないとダメだ!と思い込み、パニック障害と診断されてからわずか12日後の1月27日に遊びに行く約束をした。
結果、27日は発作のスイッチが入りかけたことも何度かあったが、友人と駅ビルまで行ってウィンドウショッピングをし、当時2人でハマっていたワンピースのグッズを買ったりして、とても楽しく過ごせた。
それ以来、自信がついたのか、運転出来る時間も増え、体力作りに1人で散歩に出かけたり、レジの混んでいないスーパーでなら買い物出来るようにもなった。
2月の中頃には、もう日常生活は問題ないレベルまで回復していたと思う。
友達と出かけたのは今思うと危険な賭けではあったが、そこで成功した(楽しめた)ことが良い方向に進むきっかけとなったようだ。
その後、運転や買い物をはじめ、小さいことでは夕飯を美味しく食べられたとか、散歩中に綺麗な景色を見て美しいと思えたとか、楽しくゲームが出来たとか、カレーを作ったとか、出来ることが少しづつ増えてそれを地道に積み重ねることで自信をつけていって、約1ヶ月でだいぶ回復出来た。
出来ないことより、出来たことに目を向けるよう意識した。

約2ヶ月たったある日

だが、このまま順調に治る気がした私に襲いかかったのが、忘れもしない2011年3月11日、東日本大震災である。
私は当時、岩手県在住だったため被害が酷く、また、数日間停電したので暖房も付けられない日が続き、寒さに震えながら布団を被って絶え間ない余震に耐えていた。
いつになったら余震が収まるのか、電気が復旧するのか、お風呂に入れるか、食料が満足に手に入るのか、病院に行けるのか・・・。
未曾有の事態で、あと何日耐えればいいのか想像がつかなかった。
ゴールが見えない中頑張るのは非常に疲れる。
幸い家は若干のダメージがあったものの住むには困らない程度だし、地盤の固い土地に住んでいたので周辺も無事で、避難所生活をすることもなくすんだのは本当に運が良かった。
家族全員の命があっただけでも幸せだ。
しかし、満足に物資が手に入らず、灯油もガソリンも買えない、食料品も不十分、ストーブも付けられずとにかく寒いという生活が続き、動悸がして眠れない、そして激しい動悸で目が覚める日々がまた始まってしまった。
振り出しに戻ってしまった・・・、と落ち込んだが、徐々に日常が戻ってくるにつれて、動悸を伴うパニック発作も減っていき、20分程度の運転、空いているスーパーでの買い物、特定の友達との外出はまた出来るようになった。
震災から1ヶ月後くらいの話である。

パニック障害は、治すものではなく上手く付き合っていくもの

このように、震災というイレギュラーな事態に見舞われたせいで、良くなりつつあった状態がまた悪化してしまったが、基本的には、心療内科パニック障害と診断されてから、薬を飲み始めて約1ヶ月程度で、最低限の日常生活を送れる程度には回復した。
これは、あくまでも、私のケースである。
一人一人、症状にも回復のスピードにも違いがあるだろう。
不測の事態も起こり得るかもしれない。
私も、症状がかなり落ち着いている約10年目の現在でも、美容院、レストランやカフェ、映画館、電車などは苦手でたまにパニック発作を起こすこともあるので、パニック障害は、治すものではなく、上手く付き合っていくものだということを痛感している。